大正12年(今から99年前)、太宰は青森中学へ入学しました。
中学時代の彼は、仲間と同人誌を発行するほど作品作りに熱中していたようでした。
中学2年の5月に原稿用紙三十数枚の長編小説「花子さん」を書いたそうですが、
先生がえらく感心して生徒たちへ朗読して聞かせたら、チンピラ同級生が息の根を止めるほど笑い転げたらしいのです。
その内容とは…?
津軽の貧乏な家に赤ん坊(津軽では赤ん坊を‟びっき”という)が生まれたが、多忙な父親は役場に行くという知人に出生届を依頼した。役場で知人は「びっき生まれた」といっていたので「きっと女の子だろう」と答え、花子と命名した。本当は男の子だったのだが、当時の農村の生活の中で実名では呼ばれず、「アニ」「アネ」「オジ」と呼ばれるため学校に入るまで自分の本名を知らずに成長した。
ところが小学校入学時に女の子だと思って準備をしていた学校で男の子であったことが判明し、慌てふためく。そして父親と先生が協議して「太郎」と改名したため「花子」の一生が終わった・・・。
太宰治、いや津島修治の傑作、笑い転げていただけましたでしょうか。
当館の休憩室に太宰文庫コーナーがありますので、
ぜひ太宰作品に触れてみてください。
津軽の貧乏な家に赤ん坊(津軽では赤ん坊を‟びっき”という)が生まれたが、多忙な父親は役場に行くという知人に出生届を依頼した。役場で知人は「びっき生まれた」といっていたので「きっと女の子だろう」と答え、花子と命名した。本当は男の子だったのだが、当時の農村の生活の中で実名では呼ばれず、「アニ」「アネ」「オジ」と呼ばれるため学校に入るまで自分の本名を知らずに成長した。
ところが小学校入学時に女の子だと思って準備をしていた学校で男の子であったことが判明し、慌てふためく。そして父親と先生が協議して「太郎」と改名したため「花子」の一生が終わった・・・。
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