太宰治記念館「斜陽館」

2019年09月

 で、ご来館いただいたのは、日本女子大付属中2年生の皆さんです
 昨日と今日の2日間に分けてきてくれましたよ~
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 2日間ともオジサンの話っこを聞いてもらいました(・∀・)つ
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 郊外授業ですから、勉強なのです!
 ということで、もちろん津軽弁もおべで(覚えて)もらいました
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 おっとー生徒さん、めんこいバッグもってらじゃあ
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 自作ろうけつ染めなんだって・・・
 同時に三味線会館も見学してくれたので、そちらのブログでも紹介しています。

 いろんな事を体験されている学校さんです、いいでばー



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 さっ、さんび~(寒い) いぎなり秋だでば
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 ああ~あと2ヶ月ぐらいで雪チラつくよな・・・

 ・・・って、まだまだイベントシースンだし
 週末もデカいイベントあり、お隣つがる市で「10市大祭典」開催されますよ
 
tosiposuta
 県内10市の祭りを一堂に楽しめます
 わが五所川原は立佞武多出陣です
 21日は夜パレードがありますので、やっぱりねぷたは夜でしょ
 出陣するのは、中型立佞武多「不動明王」です
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   <写真は7月の千葉県船橋市「ふなばし市民まつりの出陣の様子>
 中型といっても10mもあるはんで、迫力だよ~!





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月見草_edited-1

本日のお客様、僕の妻の出身地・甲府から来たそうだ。

そう、僕が御坂峠にいた頃、お見合いをしたミチコ・・・

僕はお見合いの時、ミチコの顔をまともに見れなかった。

あの時、僕が座った席の後ろに飾っていた富士山の写真の話題になって、

写真を見るふりしてミチコの顔を拝んだ・・・「決めた!」

あれからの僕は幸せの絶頂期、どんどん筆が進んだ。

懐かしい思い出さ。

今日のお客様は、甲府でも富士吉田というところであの富士山の絶景スポット

新倉山浅間公園近くに住んでいるという。

僕が眺めた御坂峠からも美しい山だったが、富士山と五重塔と桜が一度に撮れて、いかにもニッポンって感じの場所なのさ。今じゃ、外国人に人気のスポットらしいが、あの頃の僕は知らなかった・・・。

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 4日間公演の昨晩が千秋楽!350席満席でしたよ
 すいません画像全くありませんが・・・・いがったよ~
 
 川上麻衣子さんのセリフに
 「ふるさとは、発見するものだと解かりました」とありました。
 また、若い太宰が大人の太宰に
 「物事を考えるとき、津軽弁で思考しているだろ」とありました。
 私は、生れも育ちも津軽なので、解かるような解からないような・・・
 
 休憩挟んで2時間30分の「津軽」を堪能しました( -д-)ノ
 2回泣いて、1回腹の底から笑わせてもらいましたよ

 太宰の実家・津島家は小作人300人抱えた大地主でした
 もちろん現在と農業事情は全く違うはずで、収獲の秋は今以上に
 一喜一憂してたんだろうと思われます
 今朝の一点の雲りのない津軽平野です
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 もうそろそろ稲刈りはじまります
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 この季節、津軽平野の田園は走るだけで喜ばれる観光地です
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 いなごもトンボもスタンバってますよ
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  葡萄が、甘い香りを漂わせる頃となりました。
蜂が活発に動き出す季節。

 朝、眼をさますと、秋空がたかく澄んでゐた。私は早くから起きて、むかひの畑へ葡萄を取りに出かけた。みよに大きい竹籠を持たせてついて來させた。私はできるだけ氣輕なふうでみよにさう言ひつけたのだから、誰にも怪しまれなかつたのである。葡萄棚は畑の東南の隅にあつて、十坪ぐらゐの大きさにひろがつてゐた。葡萄の熟すころになると、よしずで四方をきちんと圍つた。私たちは片すみの小さい潛戸をあけて、かこひの中へはひつた。なかは、ほつかりと暖かつた。二三匹の黄色いあしながばちが、ぶんぶん言つて飛んでゐた。朝日が、屋根の葡萄の葉と、まはりのよしずを透して明るくさしてゐて、みよの姿もうすみどりいろに見えた。ここへ來る途中には、私もあれこれと計畫して、惡黨らしく口まげて微笑んだりしたのであつたが、かうしてたつた二人きりになつて見ると、あまりの氣づまりから殆ど不氣嫌になつて了つた。私はその板の潛戸をさへわざとあけたままにしてゐたものだ。
 私は脊が高かつたから、踏臺なしに、ぱちんぱちんと植木鋏で葡萄のふさを摘んだ。そして、いちいちそれをみよへ手渡した。みよはその一房一房の朝露を白いエプロンで手早く拭きとつて、下の籠にいれた。私たちはひとことも語らなかつた。永い時間のやうに思はれた。そのうちに私はだんだん怒りつぽくなつた。葡萄がやつと籠いつぱいにならうとするころ、みよは、私の渡す一房へ差し伸べて寄こした片手を、ぴくつとひつこめた。私は、葡萄をみよの方へおしつけ、おい、と呼んで舌打した。
 みよは、右手の附根を左手できゆつと握つていきんでゐた。刺されたべ、と聞くと、ああ、とまぶしさうに眼を細めた。ばか、と私は叱つて了つた。みよは默つて、笑つてゐた。これ以上私はそこにゐたたまらなかつた。くすりつけてやる、と言つてそのかこひから飛び出した。すぐ母屋へつれて歸つて、私はアンモニアの瓶を帳場の藥棚から搜してやつた。その紫の硝子瓶を、出來るだけ亂暴にみよへ手渡したきりで、自分で塗つてやらうとはしなかつた。(中略)
 正月がすぎて、冬やすみも終りに近づいた頃、私は弟とふたりで、文庫藏へはひつてさまざまな藏書や軸物を見てあそんでゐた。(中略)弟は私の傍へ、大きな寫眞箱を持ち出して來て、何百枚もの寫眞を、冷くなる指先へときどき白い息を吐きかけながら、せつせと見てゐた。しばらくして、弟は私の方へ、まだ臺紙の新しい手札型の寫眞をいちまいのべて寄こした。見ると、みよが最近私の母の供をして、叔母の家へでも行つたらしく、そのとき、叔母と三人してうつした寫眞のやうであつた。母がひとり低いソフアに坐つて、そのうしろに叔母とみよが同じ脊たけぐらゐで並んで立つてゐた。背景は薔薇の咲き亂れた花園であつた。(中略)みよは、動いたらしく顏から胸にかけての輪廓がぼつとしてゐた。叔母は兩手を帶の上に組んでまぶしさうにしてゐた。私は、似てゐると思つた。
                                     太宰治「思ひ出」

 その葡萄は、大きな粒の黒葡萄で、葡萄畑は、
現在、津軽三味線会館のバスの駐車場だったそうです。

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