太宰治記念館「斜陽館」

2022年03月

本州最北の場所、青森県。
津軽平野の真ん中で太宰治は生まれた。
交通の便が悪いにもかかわらず、
今日も太宰に会うために訪れる人々。
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「思い出日記」より
2021.12月 
 ❆雪の中、来ました。そのまま残っていて嬉しい。
 ❆初めて来ました。吹き抜けが凄くて声が出ました。
2021. 1月
 ❆父の実家が青森なので「ストーブ列車」で15年ぶりに
  来ました。
 ❆誕生日に来ました。感動しました。
2022. 3月
 ❀治をすごく感じた。
 ❀私も治をすごく感じた。
 ❀また、来ます。2回目です。
 ❀ずっと来たかった場所へ来ることができてとても嬉しいです。
  これからもずっと斜陽館が残ることを信じています。 
 

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通り土間右奥の「休憩室」
当時は女中さん達の部屋でした。
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太宰がここで暮らしていた頃は、家族が15人、使用人が15人程で
総勢30名にも及ぶ大所帯であったそうです。

斜陽館一番奥の「米蔵」
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この蔵には、一俵60キロの米俵が、2,250俵貯蔵できます。
1年間に津島家に運ばれてくるお米の量は6,000俵から9,000俵にも
なったそうです。当時は斜陽館向かいにあと2つの米蔵があり
全部で3つの米蔵を持っていました。
またその頃は漬物蔵、味噌蔵、薪小屋、細工場などもあったそうです。

蔵までは母屋から伸ばした屋根で繋がっており、雨や雪をしのぐのに
利点があったようです。
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このような造りを「下屋」というそうです。


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 春の青空、春の風。
まだ、ところどころに残雪があり、
冷たさの残る風ですが、
山野草が咲き始め、
津軽は、今、早春。

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 もう、三十七歳になります。こないだ、或る先輩が、よく、まあ、君は、生きて来たなあ、としみじみ言っていました。私自身にも、三十七まで生きて来たのが、うそのように思われる事があります。戦争のおかげで、やっと、生き抜く力を得たようなものです。もう、子供が二人あります。上が女の子で、ことし五歳になります。下は、男の子で、これは昨年の八月に生れ、まだ何の芸も出来ません。敵機来襲の時には、妻が下の男の子を背負い、私は上の女の子を抱いて、防空ごうに飛び込みます。先日、にわかに敵機が降下して来て、すぐ近くに爆弾を落し、防空壕に飛び込むひまも無く、家族は二組にわかれて押入れにもぐり込みましたが、ガチャンと、もののこわれる音がして、上の女の子が、やあ、ガラスがこわれたと、恐怖も何も感じない様子で、無心に騒ぎ、敵機が去ってから、もの音のした方へ行って見ると、やっぱり、三畳間の窓ガラスが一枚こわれていました。私は黙って、しゃがんで、ガラスの破片を拾い集めましたが、その指先が震えているので苦笑しました。一刻も早く修理したくて、まだ空襲警報が解除されていないのに、油紙を切って、こわれた跡に張りつけましたが、汚い裏側のほうを外に向け、きれいなほうを内に向けて張ったので、妻は顔をしかめて、あたしがあとで致しますのに、あべこべですよ、それは、と言いました。私は、再び、苦笑しました。
 疎開しなければならぬのですけれど、いろいろの事情で、そうして主として金銭の事情で、愚図々々しているうちに、もう、春がやって来ました。
 ことしの東京の春は、北国の春とたいへん似ています。
 雪溶けのしずくの音が、絶えず聞えるからです。上の女の子は、しきりに足袋を脱ぎたがります。
 ことしの東京の雪は、四十年振りの大雪なのだそうですね。私が東京へ来てから、もうかれこれ十五年くらいになりますが、こんな大雪に遭った記憶はありません。
 雪が溶けると同時に、花が咲きはじめるなんて、まるで、北国の春と同じですね。いながらにして故郷に疎開したような気持ちになれるのも、この大雪のおかげでした。
 いま、上の女の子が、はだしにカッコをはいて雪溶けの道を、その母に連れられて銭湯に出かけました。
 きょうは、空襲が無いようです。
 出征する年少の友人の旗に、男児畢生ひっせい危機一髪、と書いてやりました。
 忙、閑、ともに間一髪。
                           太宰治『春』
 

残雪の雪融けの音が、聞こえなくなるのも、間もなくです。



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きってもきれない仲。
それは津軽鉄道とかなぎ。
一日に何度か、決まった時間にお客様がまとまって入って来る。
時計をみると金木駅に汽車が到着した時刻なのです。
駅名
特に冬はストーブ列車が有名で、スルメっこ食べて、お酒っこ飲んでやって来るのです。
まとまって入ってくるお客様は同じグループではないのですが、おそらく金木駅で降りた人は十中八九斜陽館に向かうのです。皆が進む方向へなんとなく歩いているうちに斜陽館に到着します。

そしてかなぎと言えば、津軽三味線発祥の地。4月1日からは津軽三味線会館もOPENし、生演奏が聞けるようになります。
そしてひと足早く、茨城県つくば市の国立科学博物館では、第9回ヒットネットミニ企画展(日本の産業技術・音の誘惑)が行われ、な、なんと津軽三味線会館が紹介されているのです。

音の誘惑に誘われ、興味が湧いたところでもうひと足伸ばして、津軽三味線会館までお越しください。







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玄関の戸を開け、次の戸をまた開けると
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広さ30坪(間口2間半、奥行き12間)の「通り土間」に上がる。
ここは大勢の小作人が米俵を積んだ場所です。
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秋になると五段十五俵の俵の山がいくつもでき、
多い日には山が二列にも並んだそうである。
ここでは米の検査も行われ、検査が済んだ俵は米蔵に運ばれました。
当時は三つの米蔵があったが、今残っているのは一つだけである。

また土間の右側、南庭の奥には、高さ4メートルの赤煉瓦塀が見える。
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これは小作争議に備えて造られたもので、邸宅の周りを囲んでいます。



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