曇天、梅雨寒の季節。
グレーの曇り空と、スリガラスが同じ色に見える日。
今でも、当時の窓ガラスの三分の二が現存している。
ガラスはゆらゆらと屈折して、
まるで時間を見ているような感覚になる。

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仏間の電燈、

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気泡が入っている窓ガラスを通して見た北庭。
左側、ぼやけている部分は、タイムスリップへの扉、


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光を映すスリガラス、

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太宰が見つめた光景。


 朝は、いつでも自信がない。寝巻のままで鏡台のまえに坐る。眼鏡をかけないで、鏡を覗くと、顔が、少しぼやけて、しっとり見える。自分の顔の中で一ばん眼鏡がいやなのだけれど、他の人には、わからない眼鏡のよさも、ある。眼鏡をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。汚ないものなんて、何も見えない。大きいものだけ、鮮明な、強い色、光だけが目にはいって来る。眼鏡をとって人を見るのも好き。相手の顔が、皆、優しく、きれいに、笑って見える。それに、眼鏡をはずしている時は、決して人と喧嘩けんかをしようなんて思わないし、悪口も言いたくない。ただ、黙って、ポカンとしているだけ。そうして、そんな時の私は、人にもおひとよしに見えるだろうと思えば、なおのこと、私は、ポカンと安心して、甘えたくなって、心も、たいへんやさしくなるのだ。
 だけど、やっぱり眼鏡は、いや。眼鏡をかけたら顔という感じが無くなってしまう。顔から生れる、いろいろの情緒、ロマンチック、美しさ、激しさ、弱さ、あどけなさ、哀愁、そんなもの、眼鏡がみんなさえぎってしまう。それに、目でお話をするということも、可笑おかしなくらい出来ない。
 眼鏡は、お化け。
 自分で、いつも自分の眼鏡が厭だと思っているゆえか、目の美しいことが、一ばんいいと思われる。鼻が無くても、口が隠されていても、目が、その目を見ていると、もっと自分が美しく生きなければと思わせるような目であれば、いいと思っている。私の目は、ただ大きいだけで、なんにもならない。じっと自分の目を見ていると、がっかりする。お母さんでさえ、つまらない目だと言っている。こんな目を光の無い目と言うのであろう。たどん、と思うと、がっかりする。これですからね。ひどいですよ。鏡に向うと、そのたんびに、うるおいのあるいい目になりたいと、つくづく思う。青い湖のような目、青い草原に寝て大空を見ているような目、ときどき雲が流れて写る。鳥の影まで、はっきり写る。美しい目のひととたくさん逢ってみたい。
                      太宰 治『女生徒』

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南庭、たった今、スタッフが磨きをかけた窓ガラス。


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