昭和20年7月28日は、疎開のため太宰親子4人は甲府から津軽へ向けて出発しました。
お昼には上野駅までたどり着いたものの、夜に駅のアナウンスで「青森市が目下焼夷弾攻撃を受けて炎上中」というアナウンスが入ったそうです。
太宰親子は青森行き急行列車に乗り込もうとした群衆に引き離され、
もみくしゃになって結局列車には乗れず、上野駅で乞食のような状態で
一晩過ごしたそうです。
29日の朝一番の列車に乗り込み、結局4昼夜もかかってようやく故郷に辿り着いたそうです。

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昨日、77年前の空襲の記憶が地元紙に綴られていました。
見渡す限りの焼け野原です。

青森空襲の2週間ほど前(7月15日)に故郷の金木も爆撃を受け、
生家近くの八幡宮の北門と津島家菩提寺南臺寺の本堂が直撃を受けたそうです。
八幡宮の石の鳥居や大木が何十メートルも吹き飛ばされ、南臺寺は本堂の屋根から阿弥陀様の斜め上を通過し外へ飛び出して炸裂したとのこと。この時は、東京の原宿の子供たちが80人程疎開していたそうですが、御仏がお守りくださったのか、全員無事だったそうです。
南臺寺には、その時の爆弾の破片が残されているのです。
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