太宰ウィーク6日目の今日は、当記念館に於いて、
太宰治生誕116年「太宰文学朗読会・歌留多大会」が、
開催されました。

献花式の様子です。
明治42年の6月19日は、太宰の誕生日でもあり、
そして、昭和23年の6月19日は、
玉川上水で太宰の遺体が発見された日でもあります。
近年は、太宰が生まれた旧津島邸(現・太宰治記念館)で、
顕彰事業として生誕祭が行われています。
なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。
こういうのを本当の随筆というのかも知れない。
きょうは、六月十九日である。晴天である。
私の生れた日は明治四十二年の六月十九日である。
私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと
思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、
のけものにされているような気がしていた。
容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、
それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、
いろいろ書きものを調べてみた事があった。
何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入している人たちに、
こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。
私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っているのである。
夕暮でした。あの、小間で生れたのでした。蚊帳 の中で生れました。
ひどく安産でした。すぐに生れました。鼻の大きいお子でした。
色々の事を、はっきりと教えてくれるので、
私も私の疑念を放棄せざるを得なかった。なんだか、がっかりした。
自分の平凡な身の上が不満であった。
先日、未知の詩人から手紙をもらった。その人も
明治四十二年六月十九日の生れの由である。
これを縁に、一夜、呑まないか、という手紙であった。
私は返事を出した。「僕は、つまらない男であるから、
逢えばきっとがっかりなさるでしょう。
どうも、こわいのです。明治四十二年六月十九日生れの宿命を、
あなたもご存じの事と思います。どうか、あの、小心にめんじて、
おゆるし下さい。」割に素直に書けたと思った。
『六月十九日』
太宰ウィーク期間中の文学散歩、
今日は5人のお客様でした。



太宰が生れた部屋・小間。
こちらも祝花です。
令和7年の6月19日も、晴天でした。
気温も多分、外は30℃を越えたのではないでしょうか。
このまま、夏になりそうな気もしてきた
今日この頃です。
太宰治生誕116年「太宰文学朗読会・歌留多大会」が、
開催されました。

献花式の様子です。
明治42年の6月19日は、太宰の誕生日でもあり、
そして、昭和23年の6月19日は、
玉川上水で太宰の遺体が発見された日でもあります。
近年は、太宰が生まれた旧津島邸(現・太宰治記念館)で、
顕彰事業として生誕祭が行われています。
なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。
こういうのを本当の随筆というのかも知れない。
きょうは、六月十九日である。晴天である。
私の生れた日は明治四十二年の六月十九日である。
私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと
思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、
のけものにされているような気がしていた。
容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、
それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、
いろいろ書きものを調べてみた事があった。
何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入している人たちに、
こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。
私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っているのである。
夕暮でした。あの、小間で生れたのでした。
ひどく安産でした。すぐに生れました。鼻の大きいお子でした。
色々の事を、はっきりと教えてくれるので、
私も私の疑念を放棄せざるを得なかった。なんだか、がっかりした。
自分の平凡な身の上が不満であった。
先日、未知の詩人から手紙をもらった。その人も
明治四十二年六月十九日の生れの由である。
これを縁に、一夜、呑まないか、という手紙であった。
私は返事を出した。「僕は、つまらない男であるから、
逢えばきっとがっかりなさるでしょう。
どうも、こわいのです。明治四十二年六月十九日生れの宿命を、
あなたもご存じの事と思います。どうか、あの、小心にめんじて、
おゆるし下さい。」割に素直に書けたと思った。
『六月十九日』
太宰ウィーク期間中の文学散歩、
今日は5人のお客様でした。



太宰が生れた部屋・小間。
こちらも祝花です。
令和7年の6月19日も、晴天でした。
気温も多分、外は30℃を越えたのではないでしょうか。
このまま、夏になりそうな気もしてきた
今日この頃です。