2021年10月

菊の香

 曇り空ですが、雲の切れ間から陽射しがこぼれ、
やや小春日和。
館内は、紅葉観光のお客様で賑わっています。
里が色付いてくると、
山は、そろそろ冬の眠りにつきます。

 ここで生れた7〜8匹?の金魚たちが、
殆ど一年をかけて、漸く赤くなり始めました。
今となっては、どの子がどの子なのか
わからくなってしまいましたが、
華やかで、賑やかです。

 柿と菊の季節。
菊の香に、秋を思う。

 姉は、三郎に飲んではいけないと目で知らせたが、三郎は平気で杯を受けた。
「姉さん、もう私は酒を飲んでもいいのだよ。家にお金も、たくさんたまつたし、私がゐなくなつても、もう姉さんたちは一生あそんで暮せるでせう。菊を作るのにも、厭きちやつた。」と妙な事を言つて、やたらに酒を飲むのである。やがて酔ひつぶれて、寝ころんだ。みるみる三郎のからだは溶けて、煙となり、あとには着物と草履だけが残つた。才之助は驚愕して、着物を抱き上げたら、その下の土に、水々しい菊の苗が一本生えてゐた。はじめて、陶本姉弟が、人間でない事を知つた。けれども、才之助は、いまでは全く姉弟の才能と愛情に敬服してゐたのだから、嫌厭の情は起らなかつた。哀しい菊の精の黄英を、いよいよ深く愛したのである。菊の苗は、わが庭に移し植ゑ、秋にいたつて花を開いたが、その花は薄紅色で幽かにぽつと上気して、嗅いでみると酒の匂ひがした。
                                太宰 治『清貧譚』

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食欲の秋

毎朝の開館準備の中に〝南池の金魚&北庭池の鯉の朝ごはん〟があります。
普段はスタッフのIさんが忘れず世話をしてくれますが、Iさんが不在のときは、
つい、うっかりすることが多いのです。
ちなみに今日は、Iさんは不在だったけど、忘れずに朝ごはんをあげました
「金ちゃん~ご飯だよ~」の掛け声で集まって来ました。めんこいですね~
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北庭池の鯉さんにも「ご飯だよ~」と声をかけたら・・・
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ちょっと水面が反射してよく見えないのですが、水の中に大きく成長した鯉ちゃんが
うじゃうじゃ集まってご飯を食べているのです。
食欲の秋ですね・・・

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津軽から女生徒へ

今年度、休憩室をリニュアル(県や市のご協力を得て)して、
ビデオ上映や読書コーナー、カフェに加え、
五所川原市の図書館司書おすすめの書籍、
太宰の世界観を表現した写真撮影スポットを設けました。
新たに加えたこの二つは、年に4回テーマを変えて行っています。
春は「人間失格」、夏は「津軽」、そして秋(といっても晩秋ですが)は「女生徒」、
冬は「お伽草紙」に変わります。
ちょっとばかり遅くなりましたが、今回の入替展示&写真スポットは
女生徒になりました。 
IMG_5370のコピー
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まだ来たことがない方も前の展示でSNSで情報発信してくれた方も
ぜひ遊びに来てくださいね。

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Check

斜陽

雨に洗われた『太宰治記念館「斜陽館」』の夕景
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今日も堂々とした姿でお客様を待っている
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右下に映り込んでいる影はお向かいの物産館の屋根です。

今日は曇り空から雨風乱風になり、晴れ間が見えたと思ったら
ザーザーの通り雨へとクルクル変わり、
典型的な「秋の空」に振り回された一日でした。


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『親という二字』


 雨続きの中でも、今日は何となく小春日和
風は冷たいけれど、陽ざしが暖かい。
里のイチョウが、黄色に色づいてきたようです。
間もなく11月。

 昭和21(1946)年11月12日、郷里金木に疎開していた太宰は、
再び三鷹に帰ります。

 おやという二字と無筆の親は言い。この川柳せんりゅうは、あわれである。
「どこへ行って、何をするにしても、親という二字だけは忘れないでくれよ。」
「チャンや。親という字は一字だよ。」
「うんまあ、仮りに一字が三字であってもさ。」
 この教訓は、駄目である。
 しかし私は、いま、ここで柳多留やなぎだるの解説を試みようとしているのではない。実は、こないだる無筆の親にい、こんな川柳などを、ふっと思い出したというだけの事なのである。(中略)
 れいの無筆の親と知合いになったのは、その郵便局のベンチにいてである。
 郵便局は、いつもなかなか混んでいる。私はベンチに腰かけて、私の順番を待っている。
「ちょっと、旦那だんな、書いてくれや。」
 おどおどして、そうして、どこかずるそうな、顔もからだもひどく小さいじいさんだ。大酒飲みに違いない、と私は同類の敏感で、ひとめ見て断じた。顔の皮膚があおすさんで、鼻が赤い。(中略)
 そうして、氏名は、
 竹内トキ
 となっていた。女房の通帳かしら、くらいに思っていたが、しかし、それは違っていた。
 かれは、それを窓口に差出し、また私と並んでベンチに腰かけて、しばらくすると、別の窓口から現金支払い係りの局員が、
「竹内トキさん。」
 と呼ぶ。
「あい。」
 と爺さんは平気で答えて、その窓口へ行く。
「竹内トキさん。四拾円。御本人ですか?」
 と局員が尋ねる。
「そうでごいせん。娘です。あい。わしの末娘でごいす。」
「なるべくなら、御本人をよこして下さい。」
 と言いながら、局員は爺さんにお金を手渡す。
 かれは、お金を受取り、それから、へへん、というように両肩をちょっと上げ、いかにもずるそうに微笑ほほえんで私のところへ来て、
「御本人は、あの世へ行ったでごいす。」(中略)
 そうして、その間に、ちょいちょいかれから話を聞いた。それにると、かれは、案にたがわず酒飲みであった。四拾円も、その日のうちにかれの酒代になるらしい。この辺にはまだ、闇の酒があちこちにあるのである。
 かれのあととりの息子は、戦地へ行ってまだ帰って来ない。長女は北津軽のこの町の桶屋おけやとついでいる。焼かれる前は、かれは末娘とふたりで青森に住んでいた。しかし、空襲で家は焼かれ、その二十六になる末娘は大やけどをして、医者の手当も受けたけれど、象さんが来た、象さんが来た、とうわごとを言って、息を引きとったという。
「象の夢でも見ていたのでごいしょうか。ばかな夢を見るもんでごいす。けえっ。」と言って笑ったのかと思ったら、何、泣いているのだ。
 象さんというのは、あるいは、増産ではなかろうか。その竹内トキさんは、それまでずっともう永いことお役所に勤めていたのだそうだから、「増産が来た」というのが、何かお役所の特別な意味でも有る言葉で、それが口癖になっていたのではなかろうか、とも思われたが、しかし、その無筆の親の解釈にしたがって、象さんの夢を見ていたのだとするほうが、何十倍もあわれが深い。(中略)
「竹内トキさん。」
 と局員が呼ぶ。
「あい。」
 と答えて、爺さんはベンチから立ち上る。みんな飲んでしまいなさい、と私はよっぽどかれに言ってやろうかと思った。
 しかし、それからまもなく、こんどは私が、えい、もう、みんな飲んでしまおうと思い立った。私の貯金通帳は、まさか娘の名儀のものではないが、しかし、その内容は、或いは竹内トキさんの通帳よりもはるかに貧弱であったかも知れない。金額の正確な報告などは興覚めな事だから言わないが、とにかくその金は、何か具合いの悪い事でも起って、急に兄の家から立ち退かなければならなくなったりした時に、あまりみじめな思いなどせずにすむように、郵便局にあずけて置いたものであった。ところがその頃、或る人からウィスキイを十本ばかりゆずってもらえるあてがついて、そのお礼には私の貯金のほとんど全部が必要のようであった。私はちょっと考えただけで、えい、みんな酒にしてしまえ、と思った。あとはまたあとで、どうにかなるだろう。どうにかならなかったら、その時にはまた、どうにかなるだろう。
 来年はもう三十八だというのに、未だに私には、このように全然駄目なところがある。しかし、一生、これ式で押し通したら、また一奇観ではあるまいか、など馬鹿な事を考えながら郵便局に出かけた。
「旦那。」
 れいの爺さんが来ている。
 私が窓口へ行って払戻し用紙をもらおうとしたら、
「きょうは、うけ出しの紙はらないんでごいす。入金でごいす。」
 と言って拾円紙幣のかなりのたばを見せ、
「娘の保険がさがりまして、やっぱり娘の名儀でこんにち入金のつもりでごいす。」
「それは結構でした。きょうは、僕のほうが、うけ出しなんです。」
                              太宰治『親という二字』

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 記念館北庭の晩秋風景です。

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