こんにちは~
本日の金木町は良い天気・五月晴れです
昨日より半袖のお客様が多いようです
そろそろ津軽でも熱中症対策が必要な季節ですね
それからUV対策も大事~
          
さてさて、懶惰
2026年度 太宰治記念館「斜陽館」特別展
太宰治 旅の中で~その旅と作品~
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展示を読み進んで行くと老(アルト)ハイデルベルヒの最初の部分
「私は極めて懶惰な帝国大学生でありました」・・ん?何だか気になる
懶惰とは?検索してみると、類語に怠惰・無精・怠慢などがあげられていた
検索を進めていくと、太宰作品「懶惰の歌留多」を見つけました
内容はい・ろ・は・に・ほ・へ・と・ち・り・ぬ・る・を・わ・か
作られた歌留多。それこそ懶惰な怠惰な内容で苦笑してしまいます
その中でも少しロマンチックなのが

[#「い」はゴシック体]、生くることにも心せき、感ずることも急がるる。

 ヴィナスは海のあわから生れて、西風に導かれ、波のまにまに、サイプラスの島の浦曲うらわに漂着した。四肢は気品よく細長く、しっとりと重くて、乳白色の皮膚のところどころ、すなわち耳朶みみたぶ、すなわち頬、すなわち掌の裡、一様に薄い薔薇色ばらいろに染っていて、小さい顔は、かぐようほどに清浄であった。からだじゅうからレモンの匂いに似た高い香気が発していた。ヴィナスのこの美しさに魅せられた神々たちは、このひとこそは愛と美の女神であると言ってあがめたて、心ひそかにしからぬ望をさえいだいたのである。
 ヴィナスが白鳥にかせた二輪車に乗り、森や果樹園のなかを駈けめぐって遊んでいると、しからぬ望を持った数十人の神々たちは、二輪車の濛々もうもうたる車塵を浴びながら汗を拭き拭き、そのあとを追いまわした。遊び疲れたヴィナスが森の奥の奥の冷い泉で、汗ばんだ四肢をこっそり洗っていると、あちらの樹間に、また、ついそこの草の茂みのかげに、神々たちのいやらしい眼が光っていた。
 ヴィナスは考えた。こんなに毎日うるさい思いをするよりは、いっそ誰かにこのからだをぶち投げてあげようか。これときめた一人の男のひとに、このからだを投げてやってしまおうか。
 ヴィナスは決意した。一月一日の朝まだき、神々の御父ジュピタア様の宮殿へおまいりの途中で逢った三人目の男のひとを私の生涯のおっとときめよう。ああ、ジュピタア様、おたのみ申します、よい夫をおさずけ下さいますように。
 元旦。ま白き被布を頭からひきかぶり、飛ぶようにして家を出た。森の小路で一人いちにん目の男のひとに逢った。見るからにむさくるしい毛むくじゃらの神であった。森の出口の白樺しらかばの下で二人目の男のひとに逢った。ヴィナスの脚は、はたと止って動かなんだ。男、りんりんたる美丈夫であったのである。朝霧の中を腕組みして、ヴィナスの顔を見もせずにゆったりと歩いていった。「ああ、この人だ! 三人目はこの人だ。二人目は、――二人目はこの白樺。」そう叫んでますらおの広いみ胸に身を投げた。
 与えられた運命の風のまにまに身をまかせ、そうして大事の一点で、ひらっと身をかわして、より高い運命をつくる。宿命と、一点の人為的なる技術。ヴィナスの結婚は仕合せであった。ますらおこそはジュピタア様の御曹子おんぞうし、雷電の征服者ヴァルカンその人であった。キュウピッドという愛くるしい子をさえなした。
 諸君が二十世紀の都会の街路で、このような、うらないを、暮靄ぼあいひとめ避けつつ、ひそかに試みる場合、必ずしも律儀に三人目のひとを選ばずともよい。時にっては、電柱を、ポストを、街路樹を、それぞれ一人に数え上げるがよい。キュウピッドの生れることは保証の限りでないけれども、ヴァルカン

氏を得ることは確かである。私を信じなさい。 「懶惰の歌留多」

最後の私を信じなさい・・・信じてしまいそう・・

それでは、本日はこの辺で